アーチ(ヴォールト)について

◆アーチの誕生

アーチの組積造(そせきぞう)を活用したことで知られるのは、古代のヨーロッパやイスラム圏です。しかしそれだけではありません。中国やメソアメリカなど、世界中でアーチは使用されています。ところがわが日本国だけは、レンガ組積造を使用しないまま、明治維新を迎えるまで、木造建築にこだわり続けてきました。一方、ヨーロッパにおいては最初の建築は木造で、柱や梁で構成されていましたが、やがて外敵に対応するためか、主要な建築は石造となり、柱や梁を石で構築するようになります。これはギリシャのパルテノン神殿が、石の柱の上に石の梁とペディメント(三角の妻側壁)を載せていることで確認できます。

ところが、木に比較して石は単位当たりの重量が非常に重く、梁が自重で折れそうになります。折れないように断面を大きくするとさらに重くなり、柱と柱の間が狭くなるのです。パルテノン神殿は日本の木造建築に比べ、柱と柱の間が狭いわけです。

そこで昔の西洋人は石を積み上げて、大きな開口部をつくる構築手段として、アーチに気づきました。アーチ形状に気づく過程には、2つの説があります(図1)。

アーチの誕生についての2つの説
図1 アーチの誕生についての2つの説(イラストも全て筆者)

いずれにしても経験的に石を積み上げて、開口部を構築したと思います。アーチを積み木でつくると体験できますが、端から組み立てていって、最上部の石をはめ込むと、構造が安定します。そこで昔の人は、これをキーストーンと呼び、この石だけ装飾を施したりしています。日本でも、石橋のアーチが九州などに残されていますが、キーストーンのことを肝心かなめの石、要石(かなめいし)と呼びました。

子供たちと積み木でアーチをつくると、上から「ぎゅーと」抑えますね。すると、しっかり積み木が固定されます。実はアーチは、上からの重さがあったほうが安定するのです。たとえば、レンガで造ったアーチ状のトンネルは、上にかぶさっている土(土被り)が多いほうが安定します。逆に、トンネルの上の土を削除し、上部を軽くすると、不安定になります。

地上の構造物に開口部を設けることは、地球の重力に反する行為です。しかし、アーチという構造は上部に被さる土と部材の自重という重力を、一つ一つのアーチ構成部材の圧縮力に変換して、安定した開口部を確保できる構造なのです。

◆アーチの進化と発展

中世という時代にヨーロッパ、地中海沿岸及びイスラム圏で宗教建築が進化し、神を敬うための大きな空間を持つ教会が建築されるようになります。イスラム圏では、ドームを載せたモスクが多く建てられます。四角形の平面の建物にどうやって円形ドームを載せるか(正方形の平面に丸いドームを乗せると、コーナー部に隙間ができてしまいます)。結局、八角形の平面に底辺八角形のドームが載せられます。JR横須賀駅近くのヴェルニー公園にある逸見衛門がこれです。(写真1)

ヴェルニー公園に残る旧横須賀軍港逸見波止場衛門
写真1 ヴェルニー公園に残る旧横須賀軍港逸見波止場衛門(撮影:小形克宏)

ヨーロッパ・キリスト教圏では、十字の平面を持つ教会の屋根にヴォールト形状の天井を造ります。十字平面の交差部はヴォールトが直角に交差し、対角線の形状が表れます。この形は千代ヶ崎にもあります(写真2)。西洋建築はこの対角線部にリブを設け、リブヴォールトと呼びました(図2)

千代ヶ崎砲台跡における第5/第7掩蔽部と塁道との交差部
写真2 千代ヶ崎砲台跡における第5/第7掩蔽部と塁道との交差部(撮影:小形克宏)
ヴォールトの交差部、リブヴォールト
図2 ヴォールトの交差部、リブヴォールト

キリスト教はヨーロッパ中に広まりましたが、偶像崇拝が禁止されていたため、絵画や彫像でなく、建築の効果が期待されました。建築物の内部空間を高くして光を取り入れ、神々しさを醸し出すことで、教えを広めるようにしたのです。バラ窓も誕生し、ロマネスク時代の半円アーチは、ゴシックの尖頭アーチに変容します(図3)。建築は地下構造物に比べて屋根から大きな荷重はうけないので、ゴシック建築の複雑な屋根は木造で造られました。ノートルダム寺院の木造屋根が火災で焼け落ちたのは記憶に新しいところです。

ロマネスクアーチとゴシックアーチ
図3 ロマネスクアーチとゴシックアーチ

近代性を帯びてくると、アーチにも合理性が求められるようになります。アーチの形状で一番合理的な曲線は、半円でしょうか。それとも楕円、放物線、あるいは水平アーチでしょうか。じつはどれも違います。正解はカテナリーです。

 

カテナリーとは、懸垂線やネックレス曲線ともいい、紐の両端を両手で持ち、自然に下がってできる曲線です。この曲線は紐のどこの部分でも同じ重力がかかっています。なので、この曲線の上下をひっくり返すと、上から均一な重力を受ける形になるわけです(図4)

最も大きな重力に耐えられるカテナリー形状
図4 最も大きな重力に耐えられるカテナリー形状

近代建築家の入り口あたりに位置するガウディもこのアーチを多用し、サグラダファミリアにも使用しています。半円アーチでも上部の堆積土を含んだなかにカテナリーがあれば自立します。理論的には堆積土を掘削しカテナリーを分断するとアーチは崩壊してしまいます。近代化以前の構造物は、経験を積み重ねて構築されていましたが、近代を迎えると理論構成された構造力学が登場します。

◆近代的な構造力学の理論構成

西洋において、合理的な考えをベースにルネサンス、宗教改革、産業革命及び自然科学分野などで革命や革新があり、近代化が図られます。建築や土木など工学分野では、構造力学の理論が構築されます。

レンガ、石、コンクリート、鉄、木材などの材料で構築する構造物は、その材料の自重とモノが載る積載荷重を合計した重力と、地震時や風による横力を受けます。これらの外からの力を外力といいます。

構造物の重力という外力に対し、その構造物が地面に沈下しないような力、反力が発生します。すると、構造物の構成部材であるレンガなどの材料内部に耐える力、外力と反力に応じる力である応力が生じます。この応力が、その材料の持つ耐力の範囲内であれば、構造物は壊れません。ここに応力度という考えが現れます。

応力度とは、建造物の構成材料を最小限に小さくした粒のような単位に応じる力です。この粒(単位)に外力と反力から発生する3つの力、軸力(引張と圧縮)、せん断力、曲げモーメント(曲がろうとする力)が付加されたとき、耐えられる力の単位を許容応力度といいます。

建造物を構成する材料には、それぞれ固有の許容応力度があります。発生する応力と応力度を計算し、許容の範囲にあることを確かめることで、建造物の構造計算が成り立っています。

いろいろな材料の応力度は、固有の性質を持っています。たとえばレンガやコンクリートは、圧縮力に強いですが、引張やせん断に弱いという性質を持っています。鉄筋コンクリート造とは、コンクリートの弱点である引張を鉄筋で補うことで成り立っています(図5)。

建築に関わるさまざまな自然界の力
図5 建築に関わるさまざまな自然界の力。これらの力を計算し制御するることで近代建築は成立した。

さて、アーチです。アーチという構造は、外力の重力荷重と発生した反力を、アーチを構成する一つ一つの部材の圧縮力という応力に還元することで成り立っています。つまりアーチは、圧縮力に強い材料であるレンガや石に好適な形状なのです。上からの積載荷重を均一にアーチ構成部材に伝達するための曲線が、カテナリー曲線です。

近代の構造物は、このように、サイエンスで武装された合理的な理論に支えられています。経験的な構築から、合理的な理論の上に成り立つ構造力学へ、これが工学分野の近代化のベクトルです。
 
◆近代化遺産の持つ構造美

ガウディのカテナリーアーチを多用した建築は美しいです。千代ヶ崎砲台のレンガ積みもとてもきれいで、ヴォールト天井の交差部は西洋の教会に通じる美しさを持っています。

力学的な合理性を持つ建造物は、その構造力学を背景にした美しさを感じます。地球の重力に対抗する構造物として、例えば「橋」があります。アーチの石橋やトラスの鉄骨橋も合理的な美しさを持っています。鉄線鋼の引っ張り力を活かした釣り構造の橋としては、横浜ベイブリッジがあります(写真3)。また、丹下健三が設計した代々木の体育館も釣り構造の曲線美を主張しています。

釣り構造の横浜ベイブリッジ(撮影:源五郎)
写真3 釣り構造の横浜ベイブリッジ(撮影:源五郎)

人類が構造物をつくるのは、目的があります。橋はできるだけ川の中に柱を立てない構造が求められます。建築も体育館の内部には柱がないほうが良いです。このように建造物には「機能」が求められます。

吉田鉄郎という大正期の建築家は「建築は機能に従順で、構造に正直でなければならない」と言っています。それまでの、コテコテした装飾を外壁に張り付けたものは建築的でない、という意見でした。西洋でも「装飾は罪悪」という言葉が流行しました。建築の近代化は、装飾を排除する方向に進みます。

しかし、完成した建築はあまり個性がなく、つまらないものに感じられます。ここで、世界の建築家丹下健三は「建築は、機能的だからこそ美しい」といい、構造的な理論を背景に広島の平和記念資料館や代々木競技場の第1体育館を世に送り出します。ここで、日本の建築は世界的なデザインのレベルに追いつき、トップランナーとなりました。

千代ヶ崎砲台の構造物の設計施工において、どこまで綿密な構造計算が行われたのかは、判明していません。しかし、開口部のレンガのアーチや塁道のコンクリートのヴォールトを見ると、近代的な理論をベースに造られたことは間違いないでしょう。

千代ヶ崎砲台跡を訪れる多くの方々が、美しいと絶賛される背景には、構造美という近代性が存在していたのです。

◆エピローグ

アーチについて、工学分野の論文としては誤解を生む表現があるかもしれませんが、かみ砕いて書いてみました。近代化の背景には、サイエンスがあったこと、その結果が美しい構造物を生み出したことを語りたかったのです。近代工学の視点から、千代ヶ崎砲台跡の造形的な空間美と魅力について、分析してみました。

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コメント: 1
  • #1

    外川昌宏 (水曜日, 02 2月 2022 15:14)

    「アーチ(ヴォールト)について」大変興味深く読ませていただきました。
     アーチの誕生から発展についてなるほどと思う事と感心することばかりです。
     特に日本は、木の文化が主流でアーチを建築物に取り入れることが多く行われるようになったのは、近代になってからであろうと思います。従って、アーチについて、畏敬と憧れの念を当時の日本人が持っていたように推察します。
     其れにつけても、千代ヶ崎砲台の設計図がないのは残念ですが、千代ヶ崎砲台をこのように美しく作り上げたことを考える夢をもらった気がします。
       ありがとうございました。