対馬へ、歴史の旅
千代ヶ崎砲台跡以外の砲台も見たくなって、一人で長崎県の対馬に行ってきたサポーターの吉田さん。目の前に現れたのは、千代ヶ崎砲台跡とよく似た、でも少しずつ違う設備の数々でした。それを見ながら、さて吉田さんはどんなことを考えたのでしょう?
太平洋戦争期の千代ヶ崎砲台
千代ヶ崎砲台が竣工したのは1895(明治28)年。しかしそれから半世紀近くたった太平洋戦争中の千代ヶ崎砲台については、意外に知られていません。これについて、サポーターの熊谷俊樹さんが、たくさん資料をひっくり返して調べてくれました。
防災訓練を実施しました
ガイドの役目は来場者の案内だけではありません。地震や津波などの災害がおきた時、来場者を危険から守るという大事な役目があります。そのためには普段から準備が重要。そこで2月のある日、消防職員をお呼びして、防災訓練が行われました。
千代ヶ崎砲台跡でのガイドツアーについて
千代ヶ崎砲台跡を案内しているガイドって、どんな人たちなのでしょう? ガイドたちをサポートしている横須賀市職員がご説明します。
「千代ヶ崎砲台跡サポーターの会」の活動が横須賀を元気にする
千代ヶ崎砲台跡活用サポーターの会が活動する意義はどこにあるのでしょう? 外川会長が考えてみました。
千代ヶ崎ちよちゃん通信
わたしは千代ヶ崎砲台に建てられた、ちよハウスです。わたしと千代ケ崎ガイドのお話をちょっと書いていきます。
アーチ(ヴォールト)について
千代ヶ崎や猿島などの砲台跡の地下構造物の天井は、アーチの形状をしています。アーチを水平に連続してできるトンネル状の天井をヴォールトといいます。アーチを回転させてできる形がドームです。地下構造物に、なぜヴォールト天井が施工されているかといえば、頑丈だからです。アーチの構造について、少し探求してみたいと思います。
千代ヶ崎砲台跡の不思議な「ねじりまんぽ」
胸突き八丁を思わせるかつての軍道を登り詰めると千代ヶ崎砲台跡に辿り着きます。正門をくぐると、ピラカンサの鈴なりの赤い実が目を引きつけます。その千代ヶ崎砲台跡には3ヵ所の「ねじりまんぽ」が存在します。
アパッチ族と千代ヶ崎砲台
千代ヶ崎砲台は東京湾要塞の他の砲台と比べると保存状態がよいことで知られています。しかしよく見ると棲息掩蔽部の窓枠や扉は何者かにより取り去られています。それだけでなく、あちこちに残る破壊の跡、これは一体、いつ、誰がやったのでしょう? 少し調べてみました。