千代ヶ崎砲台跡の不思議な「ねじりまんぽ」

写真1 「奈良県桜井線第130号橋梁」
写真1 典型的なねじりまんぽの例「奈良県桜井線第130号橋梁」(ねじりまんぽ写真集|歩鉄の達人|hotetu.netより転載)

ねじりまんぽは流線を帯びた美しい煉瓦の積み方です。可塑性に優れ、煉瓦の欠点を克服したコンクリートをふんだんに使用した千代ヶ崎砲台跡に、どうしてねじりまんぽが採用されたのか、このことが不思議でなりませんでした。

私は千代ヶ崎砲台跡サポーターの会のガイドの卵です。お客さまに千代ヶ崎砲台跡を理解していただく意味でも、私なりにこの不思議の謎を解き明かそうと思いました。

 

◆「ねじりまんぽ」とは

 

私にとって、まず、ねじりまんぽとは何か? を理解する必要がありました。参考文献を紐解くと、ねじりまんぽとは通称の呼び名であることわかりました。平たく言えば、「ねじりが入ったトンネル」の意味合いです。正式な呼び名は、「斜架拱(しゃかきょう)」とか「斜拱渠(しゃきょうきょ)」と言います。

 

このねじりまんぽは、煉瓦組積(そせき)工法の一つで、具体的にはアーチ構造物の上部を通過する鉄道線路と、その下をくぐる河川や道路等との交差角が直角以外の角度で交わっているような場合に使われる工法です(写真1)
 
下になるアーチ構造は、上を通過する列車の重みに耐えられる応力の確保が必要になります。一般的に、交差角が直角であれば、床面に対して水平に積んでいく通常の煉瓦組積工法で、充分に応力が確保できます。
 
一方、斜めに交差する場合はそれができず、目地の部分から割れてしまう可能性があります。そこで、なるべく広い範囲で(とくに上部との接続面で)直角に近い角度で交差できるよう、煉瓦を一定の角度でねじらせて積む工法が考案されました。これが、ねじりまんぽです。
 
専門用語で交差角のことを斜架角(しゃかかく)と言います。そして、煉瓦をねじる角度を起拱角(ききょうかく)と言います(写真2)。斜架角と起拱角を足して90°」になれば、理論的には水平積みと同程度の応力が確保できることになります
水平積みとねじりまんぽ
写真2 左が水平積み、右が「ねじりまんぽ」。写真1と比べられたい。
表1 全国のねじりまんぽにおける起拱角・斜架角の関係
表1 全国のねじりまんぽにおける起拱角・斜架角の関係(「組積造による斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究」(『土木史研究』16号、小野田滋、河村清春、須貝清行、神野嘉希、1996年)表1の数値を元に再作成)
表1は、ねじりまんぽ日本で初めて本格的に調査した論文「組積造りによる斜めアーチ構造物の分布とその技法に関する研究」(『土木史研究』16号、小野田滋、河村清春、須貝清行、神野嘉、1996年)にある表で、全国に分布するねじりまんぽの斜架角と起拱角の関係を示しています。赤線は斜架角と起拱角の和が90°になる理論値を示しています。この表からは、斜架角と起拱角の合計が概ね直角(90°)になるものが多いことが分かります。
 
ねじりまんぽは、明治の初期から明治30年代はじめにかけて多く使われた工法です。関西地区に多く存在して、そのほとんどは鉄道に関連しています。なお、千代ヶ崎砲台跡のねじりまんぽは、この論文で取り上げられている29ヵ所には含まれていません。
 
◆千代ヶ崎砲台跡の「ねじりまんぽ」
 
ねじりまんぽの知識を得て、あらためて千代ヶ崎砲台跡のねじりまんぽを整理してみました。
  1. 今まで報告されているものは鉄道か水路用なのに対し、千代ヶ崎砲台跡は軍事施設です。
  2. 今まで報告されているものは全て他の構造物と交差しているのに対し、千代ヶ崎砲台跡は交差しておらず、2ヵ所が接合、もう1ヵ所は斜めに開口しているだけです。
  3. 今まで報告されているのは全てが煉瓦なのに対し千代ヶ崎砲台跡は入口付近みが煉瓦でその他は無筋コンクリートです。
以上のことから、千代ヶ崎砲台跡のねじりまんぽの特異性が確認出来ました。それでは、実際に存在する3ヵ所について述べます。
 
図1のように、千代ヶ崎榴弾砲砲台跡にはA・B・Cの地点にねじりまんぽが存在します。なお、斜架角の数値は実際の測定値ではなく、『東京湾要塞跡猿島砲台跡千代ヶ崎砲台跡』(横須賀市文化財調査報告書51集、2014年)掲載の「図13 千代ヶ崎砲台跡遺構配置図(地下構造物)」計測して値を求めました。ただし、C地点については、現地かなり違いがあると言わざるを得ません。そこでなるべく現地と同じように修正した上で、斜架角は「計測不能」としました。
図1 千代ヶ崎砲台跡にある3ヵ所のねじりまんぽ
図1 千代ヶ崎砲台跡にある3ヵ所のねじりまんぽ
A地点は、第3砲側弾薬庫から第3砲座及び左翼観測所付属室に向かう交通路出入り口の部分です。煉瓦組積の奥行きは狭いですが、焼過ぎ煉瓦の色合いがとても美しいねじりまんぽと言えます(下の動画)
千代ヶ崎砲台跡の「ねじりまんぽ」は、出入り口付近だけなので見分けにくいです。注目するポイントは、左右端に斜めにカットした煉瓦が使われていることです。この斜めカットの角度が、起拱角を表わしています。ちなみにA地点の起拱角は10°です。
 
次にB地点のねじりまんぽは、塁道奥の第1貯水所の沈殿池・濾過池入口です(下の動画)A地点よりも組積が長く、見やすいのが特徴す。

最後のC地点のねじりまんぽは、右翼観測所や陸正面砲台への連絡口にあります(下の動画)。ここは塁道の終わるエリアで、鉄格子の扉と天井部にはネットが張られていて確認しにくいですが、広範囲に組積されています

A地点、B地点は塁道と斜めに接合しているので、かろうじてねじりまんぽにする意味はあると言えます(それでも天井のほとんどはコンクリート構造なので、本来無意味なのですが。ところが、このC地点は接合すらしておらず、単に斜めに開口しているだけです。つまり、ねじりまんぽにする必然性が全くありません。

 

以上、3ヵ所について、机上の計測値ですがねじりまんぽの条件にあたる斜架角と起拱角が確認出来ました。ここから言えることは、斜架角は70°~80°でした。また、起拱角は10°~20°と判明しました。

 

表2 千代ヶ崎砲台跡のA地点(右の青点)とB地点(左の青点)の計測値を、表1に重ね合わせてみた
表2 千代ヶ崎砲台跡のA地点(右の青点)とB地点(左の青点)の計測値を、表1に重ね合わせてみた
2つの角度は、応力を求める上で重要ですが、ここ千代ヶ崎砲台跡ではさほど重要な要素ではありません。何故なら、千代ヶ崎砲台跡天井部のほとんどが可塑性に優れたコンクリート構造になっているからです。

ねじりまんぽが採用されているのは、出入り口付近の限られた部分ですので、応力的には影響がないと考えます。千代ヶ崎砲台跡のA地点、B地点を表1に重ねてみました(表2)。全国にある他のねじりまんぽと同様、理論値(斜架角と起拱角のが90°)に近いことがわかります。つまり、応力的には意味がなくとも、積み方としては、理論に忠実に作られているのです。
 
◆不思議な「ねじりまんぽ」
 
千代ヶ崎砲台跡にどうして「ねじりまんぽ」が採用されたのかを考えてみました。日本各地に造られた砲台の掩蔽部や弾薬庫等の煉瓦構造物の配置は、基本的には塁道に対して直角に配置されています(図2)
図2 千代ヶ崎砲台と同じ頃に築造された花立堡塁砲台の平面図(『日本築城史』、浄法寺朝美、原書房、1971年)
図2 千代ヶ崎砲台と同じ頃に築造された花立堡塁砲台の平面図(『日本築城史』、浄法寺朝美、原書房、1971年)
図3 なぜ青線のように塁道を直線にしなかったのか?
図3 なぜ青線のように塁道を直線にしなかったのか?
その理由は、合理的な水平の煉瓦組積工法が適用できるからです。ただし、直角に配置するためには塁道を一直線にすることが大前提になります。
 
一方、千代ヶ崎砲台跡をみますと塁道は一直線ではなく、斜めにカーブを描いています。この斜めの部分に接合するために、高度な技術を要するねじりまんぽが採用されています。
 
図3見てください。塁道は上下の端部で内側にカーブしていますが、この曲線は必要なのでしょうか。むしろ青線のように塁道を一直線にした方が、軍事施設としては効率的なのではないでしょうか。ここが一番不思議な点でした。私は、「どうして構造物を配置する塁道エリアを一直線にしなかったのか?」と自問自答しました。
 
千代ヶ崎砲台跡を歩くと、色合い豊かな煉瓦組積が目に入ってきます。「え! ここが砲台?」と疑いたくなるようなヨーロッパ調の景観に圧倒されます。千代ヶ崎砲台跡と猿島砲台跡は、2015年に国指定の史跡になりました。軍事遺産としては初めてのことです。軍事施設と言うよりも、まるで公会堂のような文化施設のような美しさが感じられます。
 
ここからは私の憶測になります。当時の築城部署(陸軍工兵方面)は、計画段階からデザインに拘ったのではないか? 特に、千代ヶ崎砲台跡が起工された明治中期は、コンクリートと焼過ぎ煉瓦が普及した環境でしたので、これに「プラスα」を考えたとき、流線を帯びた美しい「ねじりまんぽ」を採用したかったのではないか?
 
つまり、計画段階で意図的に「ねじりまんぽ有りき」の砲台を造ろうとしたのではないかと思いました。
 
◆おわりに
 
今回は縁あって、ねじりまんぽに関して勉強と考える機会を得ることができました。軍事施設は常に謎や不思議が付き物ですが、謎解き・不思議を解明するのも楽しい時間です。この記事を読んだ方々から、「私はこう思う、こう考える」等の声が聞けたら幸いです。
 
参考文献

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コメント: 2
  • #1

    外川昌宏 (月曜日, 24 1月 2022 09:16)

    千代ヶ崎砲台跡の不思議な「ねじりまんぽ」を興味深く読ませていただきました。
    今回の「千代ヶ崎砲台跡の不思議な ねじりまんぽ」で、実に正確に計算され強度がしっかり保たれていることが理解できました。改めて素晴らしい技術だと感服した次第です。
    さて、その上で、「千代ヶ崎砲台跡のねじりまんぽ」の不思議についてです。
    竹崎さんによれば、天井がコンクリート構造であり、わざわざ「ねじりまんぽ」にする必要性があまりないということです。しかし、この工法を採用したのは、「美しさ」を表現したかったのではないかという意見に、私も同じ考えを持ちました。
    ではなぜ、軍事施設である千代ケ崎砲台に「美しさ」が必要だったのでしょうか。
    私は、明治の人の「ゆとり」と新しい日本を創造していく「気概」を強く感じます。
    美しく、文化的な中にも機能的で先進的な砲台を作ることにより、日本の近代化を目指す意志と共に、千代ヶ崎砲台をとても大切に扱っていこうとする当時の人の思いも伝わります。
    そのようなことを考えながら千代ヶ崎砲台跡を歩くと、今までこの砲台を様々な使命と共に大切にしてきた多くの方々の思いと、千代ヶ崎砲台跡が国の史跡として公開された意義を伝えていく重要さを強く感じています。

  • #2

    小曽戸 聡 (月曜日, 24 1月 2022 10:19)

    大変興味深い内容で、一気に読ませていただきました。士魂洋才のような、明治初期の雰囲気が感じられる遺構なのだと、改めて強く感じました。