対馬へ、歴史の旅

写真1 プロベラ機
写真1 プロベラ機


なぜ対馬に行ったのか

私は昨年、2022年に千代ケ崎砲台跡活用ボランティア養成講座を受講してボランティアガイドの仲間入りをさせていただきました。講座で教えていただき、我が国の近代軍事、築城技術などの勉強を進めると、千代ヶ崎砲台が重要な史跡であるだけでなく、とても奥が深いことがよく理解できました。同時に千代ヶ崎砲台以外にも日本全国にたくさんの砲台跡があることを知りました。

そんなある日、自衛官の娘婿が対馬に研修で行った土産話を聞いて、私も自分の目で国境の砲台跡を見てみたくなりました。古代から交易路だった対馬には城や遺構など軍事拠点がたくさんあったらしい→行ってみたい→一人旅をしてみたい→ツアーではつまらない→行くなら自分で勉強して! 

ちょうど砲台に興味を持った自分にピッタリと思い付き、2023年3月28日~31日に「対馬歴史の旅」と題して旅に出ました。

福岡からプロペラ機に乗り換えて、3時間ほどで対馬へ到着します。現地の足はレンタカーで回ることにしました(写真1)

対馬の地理

対馬は九州と朝鮮半島の間に浮かぶ島で、長崎県に属します。福岡までは132キロメートル、韓国の釜山までは50キロメートルという位置にあり、古代より国境の島として重要な役割を担ってきたそうです。

対馬観光物産協会には『対馬砲台あるき放題 対馬要塞まるわかりガイドブック』というとても分かりやすい冊子が置いてありました(図1。PDF形式でダウンロード可能です)。これを見て分かったのですが、全島には31ヵ所もの砲台があるのです。

図1 『対馬砲台あるき放題 対馬要塞まるわかりガイドブック』対馬観光物産協会 p.6
図1 『対馬砲台あるき放題 対馬要塞まるわかりガイドブック』対馬観光物産協会 p.6

アクセスの良い所や悪い所、ガイドが必要なところもあるようです。その中でも城山砲台と姫神山砲台に行くことにしました。この2ヵ所は千代ヶ崎砲台と建設時期が同じくらいで、滞在しているホテルにも近く、効率よく巡れると思ったからです。

パンフレットの地図と併用してYAMAP(GPS登山アプリ)を利用しました。このアプリを使用するとGPSで現在地が確認でき、細かい分岐も見落とすことなく、一人でも安心して山に入ることができます。
 
対馬要塞化の経緯

  • 663(天智2)年 白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れたことが山城を造るきっかけとなりました。
  • 667(天智6)年 古代山城の金田城(かなたのき)が築かれ、国境防備のため防人が置かれました。石で築いた天然の要塞で、対馬要塞の起源となったそうです。
  • 1591(天正19)年 豊臣秀吉が朝鮮出兵の際に清水山城が築かれました。
  • 1861(万延元)年 ロシア艦ポサドニック号により芋崎が占拠されました。
  • 1904(明治37)年 日露戦争勃発。翌年の日本海海戦(対馬海戦)に大勝。
  • 1941(昭和16)年 太平洋戦争はじまる。対馬全島が要塞化されました。

今は観光客がたくさん訪れる島ですが、自衛隊駐屯地もあり、朝鮮海峡・対馬海峡防衛を担う最前線の島となっています。
 
私の行った砲台①:城山砲台

667(天智6)年に金田城(かなたのき)を築城し防人を配備しました。石塁の延長は約2.2㎞最も高い石垣は6.7メートルです。その後1200年以上の時が経過した明治34年に、金田城を再整備する形で城山(じょうやま)砲台が建設されました。国の特別史跡に指定されています(写真2)

写真2 金田城(かなたのき)の石垣
写真2 金田城(かなたのき)の石垣

トレッキングルート(軍道)を進むと現れる緩やかな斜面は、岩をダイナマイトで発破して作ったたそうです。建築当時は荷車が通っていたことを想像しながら歩きました。やがて石塁や石垣が見えて来て、40分ほどで砲台跡に到着します(写真3)

写真3 金田城跡
写真3 金田城跡

1901(明治34)年に建設された城山砲台は、28センチ榴弾砲4門、観測所、弾薬庫、兵舎跡が見られます。レンガの積み方や入口の感じや、室内に漆喰が塗られている様子が千代ヶ崎と似ていると思いました(写真4/写真5)

写真4 内部の漆喰
写真4 内部の漆喰
写真5 城山砲台跡
写真5 城山砲台跡

もう一登りして城山山頂(276メートル)へ。そこから一望できる浅茅(あそう)湾がとても美しかったです。下山ルートには飛鳥時代に築かれた城マニア必見の二の城戸、防人住居跡も見ることができました写真6)

写真6  城山山頂より朝茅湾
写真6 城山山頂より朝茅湾


私の行った砲台②:姫神山砲台

1900(明治33)年に着工された姫神山(ひめかみやま)砲台は対馬要塞の中で最大規模で、保存状態も良好なことから、対馬市指定史跡に指定されています。

砲台直下の駐車場まで、車の幅くらいしかない道をドキドキしながら走行します。対向車がきたらアウトな感じで、この道は旧軍道と思われました。

まずは古代遺跡のような棲息掩蔽部がお出迎え。先に見た城山砲台と違い、広々とした空間の中にひっそりと遺跡が佇んでいました(写真7)

写真7 古代遺跡のような姫神山砲台の棲息掩蔽部
写真7 古代遺跡のような姫神山砲台の棲息掩蔽部

棲息掩蔽部は5連になっており、そのうち4部屋は内部で接続していました。レンガの積み方はイギリス積み、内部には湿気防止の漆喰が塗られていました。

広い要塞の中をどうぞご自由にという感じで見学でき、たった一人で見学していると次々に28センチ榴弾砲座、弾薬庫、濾過式井戸、観測所、通信室など、千代ヶ崎砲台でもお馴染みの設備が出てきます。「ここ私ガイドできるので誰か聞いてー!」と、これはですねと独り言を呟きながら見ました(写真8/写真9)

写真8 姫神山砲台跡入口.
写真8 姫神山砲台跡入口.
写真9 姫神山砲台の観測所
写真9 姫神山砲台の観測所

登り口にある村の小さな神社にも、28センチ榴弾砲が狛犬とともに奉納されていました(写真10)

写真10 村の神社
写真10 村の神社


対馬一の名山、白嶽

最終日には白嶽に登りました。この山は九州百名山の一つに数えられている対馬一の名山で、白く輝く岩峰はシンボリックで遠くからも目立つ存在です。518メートルの頂上は360度の大展望で、いままで見てきた砲台の場所や海との関係も見渡せ、先人たちがこの場所に砲台や山城を築いた理由がうなずけました(写真11)

写真11 白嶽山頂より望む
写真11 白嶽山頂より望む


最後に、対馬一人旅に行って

今回の一人旅は私にとって大冒険でした。「運転もできる。山に登る技術もある。一人で出来るもん!」と心に言い聞かせての旅でした。

対馬で見てきた砲台は全体のほんのわずかです。それでも、ただ見て、あー面白かっただけでは通り一遍で終わってしまいます。充分な下調べで、何倍にも楽しめることを実感しました。千代ヶ崎砲台跡をガイドする時には、お客様の気持ちで案内できそうです。

ブログに書いてみないかとお誘いいただいた先輩、ありがとうございました。資料を見返しながら思い出しての作業もまた楽しかったです。難しいことは書けませんが、少しでも楽しんで読んでいただければ幸いです。

 

(写真はすべて筆者撮影)

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コメント: 2
  • #1

    佐藤公子 (水曜日, 28 6月 2023 21:40)

    次男の高校のpta役員を共に頑張った思い出と共に羨ましい一人旅の実行力に拍手を送ります�高校の紹介をPTA活動の一環としてたまたま引き受けることになった当たり年。晴美さんのパワーポイントに助けられて無事終えられた事。あの頃既に素晴らしい技術力をもち備えていた貴女でした。写真も文面も実際に自身の足で歩いて、一つ一つ噛み締めるように綴られておりとても読みやすく感じました。貴女の実行力はただの晴れ女では無いことの証明となりましたぁ!楽しい思い出に乾杯�いつか砲台の説明ボランティア活動を参観させて頂きたいでーす♪ご招待ください♪

  • #2

    吉田晴美 (木曜日, 29 6月 2023 21:44)

    佐藤さまコメントありがとうございます。
    ブログを読んで頂き、嬉しいです。先輩にアドバイスをしてもらいながらのブログデビューで、楽しく執筆できました。
    千代ケ崎も対馬に負けない位素敵な史跡があるので是非遊びに来てくださいね。
    駐車場もあります。
    土日祝のみ公開
    3~9月は入場9時30分~16時
    10~2月は15時まで、ガイドの皆さんがお待ちしていますよ!