千代ヶ崎砲台が竣工したのは1895(明治28)年。しかしそれから半世紀近くたった太平洋戦争中の千代ヶ崎砲台については、意外に知られていません。これについて、サポーターの熊谷俊樹さんが、たくさん資料をひっくり返して調べてくれました。
千代ヶ崎や猿島などの砲台跡の地下構造物の天井は、アーチの形状をしています。アーチを水平に連続してできるトンネル状の天井をヴォールトといいます。アーチを回転させてできる形がドームです。地下構造物に、なぜヴォールト天井が施工されているかといえば、頑丈だからです。アーチの構造について、少し探求してみたいと思います。
胸突き八丁を思わせるかつての軍道を登り詰めると千代ヶ崎砲台跡に辿り着きます。正門をくぐると、ピラカンサの鈴なりの赤い実が目を引きつけます。その千代ヶ崎砲台跡には3ヵ所の「ねじりまんぽ」が存在します。
千代ヶ崎砲台は東京湾要塞の他の砲台と比べると保存状態がよいことで知られています。しかしよく見ると棲息掩蔽部の窓枠や扉は何者かにより取り去られています。それだけでなく、あちこちに残る破壊の跡、これは一体、いつ、誰がやったのでしょう? 少し調べてみました。